カレンダー

08 | 2008/09 | 10
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

RSSフィード

By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

レトロな雑記帳
昭和のテレビ、映画などについて取り上げています。
友情
「寅さん」以外の渥美清(1975年・松竹・宮崎晃監督)

物語。三浦宏(中村勘九郎、現・勘三郎)は年上のOL・紀子(松坂慶子)と同棲している大学生。
父親を亡くし紀子の援助で学生生活を送っている宏は夏の間、ダム工事現場で働くことにする。
そこで宏は粗野だが人の良い中年の労務者・源太郎(渥美清)と出会い、意気投合する…。

渥美清と言えば「寅さん」。でも私が最初に知ったのは、別のテレビドラマでした。
かなり幼い頃見たので、タイトルも内容もうろ覚えでしたが、今思い立って検索してみたら「からすなぜ泣くの」(1971年、NHK銀河ドラマ、全10回)だったらしいと判明。そうそう、毎回渥美清自身の歌う童謡「七つの子」が主題歌か何かになっていました。確か渥美清が他人の子供の父親代わりを務めるという話の人情物だったんです。もう37年前ですか。。。NHKにも録画は残っていないでしょうね。

それはともかく、70年代は「男はつらいよ」以外の映画・ドラマで主役を演じることも多かった渥美清ですが、何を演じても結局「寅さん」としか見られなくなったことでだんだんとやる気を失くしてしまったのでしょうか。
今にして思えばそれは俳優・渥美清本人にとって不幸でしたが、映画ファンにとっても大いなる損失でした。
この作品は渥美清が「男はつらいよ」で人気絶頂中の1975年に「松竹八十周年記念」として撮られた佳作です。

中村勘九郎と渥美清扮する主人公。
1人は「嫌いになったらいつでも別れる」と言うドライな約束で年上の恋人・松坂慶子に食わせて貰っている、よく言えば70年代前半によくあるシケラ世代の優しい青年( 普通に見れば単なる甘ったれ小僧ですが)
もう1人は、瀬戸内海の小島から出稼ぎに出て来て結果的に妻子を捨ててしまい、故郷に戻れなくなってしまった中年労務者。
この立場も年齢も全く違う二人がふとしたことから奇妙な友情で結ばれる、と言うお話です。

東京に戻った勘九郎を追う様にして上京して来た渥美清は、土産の毛蟹で食あたりを起こして勘九郎のアパートで寝込むハメに。
そこへ松坂慶子の叔父・有島一郎が現れて、若い2人のいい加減な生活を非難して別れるように迫ります。しかし傍らで聞いていた渥美清がやがて黙っていられなくなって起き上がり、弁護します。「この2人は大丈夫だ、俺が保証する!」

若い恋人同士の姿に捨ててきた妻子を思い出し、故郷に帰ろうとする渥美清。ふとしたきっかけで二度と再び家族との愛を取り返すことのできなくなってしまった男の過去が切ない。
「面白ろうて、やがて悲しき」を演じたら絶品の渥美清が見せる、背中で泣いている演技が光ります。
一方、その姿を自分と恋人との関係に重ね合わせて「一生別れない」と誓う勘九郎。
若くして熟練の演技を見せています。
そして年上の恋人演じた松坂慶子。
若くてきれいで、優しく包むように愛してくれる、男にとっての聖母のような存在とはまさにこのことでしょうね^^;他の出演者には笠智衆、加藤嘉、米倉斉加年、佐々木愛、名古屋章、谷村昌彦など。

関連タグ: 松竹 渥美清 中村勘九郎 松坂慶子

テーマ:日本映画 - ジャンル:映画

からっ風野郎
"映画俳優"三島由紀夫のデビュー主演作品!(1960年・大映・増村保造監督)

物語。対立する相良組の親分(根上淳)の足を刺して服役していた朝比奈一家二代目の武夫(三島由紀夫)は、出所予定の当日、相良組の雇った殺し屋に狙われる。ビビッた武夫は所長(三津田健)に頼み込み、出迎えに来ていた叔父貴の平山(志村喬)や兄弟分の愛川(船越英二)もまいてこっそり刑務所を出所。やがて朝比奈一家のシマにある映画館に身を潜めた武夫はモギリ嬢の芳江(若尾文子)と出会う…

作家の三島由紀夫が臆病で弱虫のチンピラヤクザを演じた、「俳優」としてのデビュー作。
「動いて喋っている」三島は映画「人斬り」(1969年)を始め既に何度も見ているのですが、これを見るのは初めて。
「人斬り」での演技がかなり大根だったので、これも相当なキワモノかと思いきや、予想外に三島は健闘していました。

勿論お世辞にも上手とは言えませんが(特に動きのあるシーンはかなりぎこちない)、不器用なりに役になりきろうとして一生懸命演じているのが伝わります。「だらしないヤクザ」というキャラクターも意外にはまっていたし、ど素人でこれだけやってくれれば十分でしょう。少なくともどこぞのアイドルタレントよりはずっと様になっているし、途中「三島」ということは忘れて見ていました。

とは言え、節々で三島の「存在感」を強烈にアピールしていることも事実。
例えば手を怪我しただけなのに何故かパンツ一丁になっていてその肉体美を誇示するシーンがあったり、船越英二が大卒の法学士の役なのに、実際に東大法学部卒の三島が小卒の設定だったりするのは笑わせます(ちなみに三島って、確かに引き締まったいい体をしているのですが、所謂ムキムキのマッチョマンをイメージしていると裏切られます。体格が小柄だし、何だかショボンとした感じに見えてしまうのです)。

映画の内容的にはゴダールの「勝手にしやがれ」を髣髴させるようなチンピラヤクザの場当たり的な生き様と情けない死に方を描いていてなかなか面白く、松竹ヌーベルバークよりこっちの方がよっぽど本家の作風に近かったんではないかという気もします。

出演俳優陣では、文学座の三津田健と神山繁が出演しているのは、当時文学座の座付き作者でもあった三島のためのサポート体制だったのでしょうか。
それにしても、三島と親交のあった若尾や大映専属の俳優はまだしも、あの「七人の侍」の名優・志村喬と三島が同じ画面に映って共演しているというのはかなりシュール。異星人との遭遇に近い感じがします(そう言えば志村さんって、「ゴジラ」や「稲尾投手」とも共演してるんだよなあ。。)
関連タグ: 大映 三島由紀夫 増村保造

テーマ:俳優・男優 - ジャンル:映画

三島由紀夫の同名短編小説の映画化(1964年・大映・三隅研次監督)。

物語。東和大学剣道部主将の国分次郎(市川雷蔵)は、あらゆる世間に背を向け剣一筋に打ちこむ純粋な青年。己自身のことも部員たちのことも厳しく律していたが、そんなキャプテンの姿を新入部員の壬生(長谷川明男)は尊敬している。一方、国分の同級生の賀川(川津祐介)は、剣の実力もあるが適当に遊ぶタイプで、国分の純粋さには反感と同時に嫉妬している。賀川は、学内ナンバーワンと言われる伊丹恵理(藤由紀子)を使って国分を誘惑するが、その後も国分の態度に変化は見られない。夏の強化合宿の日、賀川は国分たちが木内監督(河野秋武)の出迎えに行っている隙に、部員たちを厳禁されている水泳に誘った。監督に見つかり賀川は即刻帰京を命じられたが、国分は自分が敗北者のようにうなだれていた。やがて数日後の納会の夜、国分が自殺して死んでいるのが発見される…

純粋な青年がその純粋さ故に破滅してしまうというお話。
部員が規律を破って水泳に行った責任を取って自殺してしまうわけですが…何もそこまでせんでもという感じでこの最期は唐突です。そもそも、自分自身の純粋さを貫くことと、統率者として責任を取ることとは一見関係があるようでないんですね。だったら多田の造反や賀川のタバコ事件の時にももう少しリアクションがあってよさそうなものです。水泳の場合は全員、しかも信じていた壬生にすら裏切られたショックということになるのでしょうか。
ただその一方で、国分は社会に出て自分が汚れてしまうことを極度に恐れている、と言う事実があります。彼は当面それを剣に、そして全日本大会優勝という目標に向けて打ち込むことで目を逸らしているわけですが、合宿が終われば大会は目前だし、その後は否応なく社会に出ることを余儀なくされます。従って国分があくまで己の純粋さに固執しようとすれば必然的にその前のどこかで自分の命を絶たなければならない帰結にあります。
そう考えると、部員の水泳というのは単なるそのきっかけで、統率者としての責任を取って強く正しく死ぬというふうに自分の死を美化するための口実に過ぎなかったのではないかとも考えられます。ちょうど三島自身の死がそうであったように。

主演の雷蔵さんは当時32歳ということでもう大学生を演じる年じゃなかったんですが、この当時の大学生は今より遥かに老けて見えるし、それに雷蔵さんは年よりずっと若々しいのでそう不自然ではないです。剣道場で部員を前にして訓示をする時に発する凛としてよく通る声が実に魅力的で、体育会的なものの嫌いな私でも思わずあの声で自分の名前を呼んでもらいたような誘惑に駆られます。
藤由紀子は後の田宮二郎夫人。ダンナは雷蔵さんとは一本も共演していないのですが、奥さんの方は他にも2本ぐらいありますね。ただこの映画に女は要らなかったし(ちなみに原作には登場しません)、出すにしてもこんな取ってつけたような使い方ではなくもう少し工夫をして欲しかったように思います。
関連タグ: 市川雷蔵 三島由紀夫 大映

テーマ:邦画 - ジャンル:映画

夜の診察室
松坂慶子が初主演した大映末期のお色気コメディ(1971年・大映・帯盛迪彦監督)

物語。麻生梢(松坂慶子)は医学博士の父親(高橋昌也)が開設している性の悩み相談室を手伝う女子大生。或る日、夫(早川雄三)のセックスレスに悩む妻(真山知子)が相談に訪れる。夫を尾行した梢は、彼の従弟のポルノ作家・榊(峰岸隆之介、後の峰岸徹)と知り合う。プレイボーイと噂のある榊に対抗するため梢は、患者の告白をあたかも自分自身が経験したのことの様に話す。やがて2人は恋に落ちるが、何故か榊は直前で梢を抱くのをやめてしまう。翌日、麻生が梢の父親だとも知らずに相談にやってきた榊は、プレイボーイとは営業用で実は女性経験がないことや、死んだ妹に似た女性を愛してしまったことを打ち明け、アドバイスを受ける。その話を聞いていた梢は榊の後を追う。一方、榊の話していた女性が自分の娘のことだと知った麻生は慌てるが、時既に遅し。2人はめでたくゴールインするのだった。

Gyaoの無料動画で見ました。
以前書きましたが、これは子供の頃テレビ東京の「日本映画名作劇場」(どこが名作なんだか^^;)で親の目を盗みながら見たという想い出のある映画です。松坂慶子が19歳の時の初主演作、それもお色気物ということで、テレビ放送された当時には既に一種のお宝映像的な伝説の作品になっていました。実際はヌードシーンなんてない(セミヌードで背中が見える程度)のですが、放送前には想像力をかきたてられたもんです^^;

映画が公開されたのは1971年9月ということで、大映倒産の2ヶ月前にあたります。つまり末期大映のB級キワモノ映画のひとつで他愛もない内容ですが、セックスレスに悩む妻とか自分のサイズが小さくて妻を満足させられないんじゃないかと気に病む新婚の夫が登場し、現代でも通じそうなセックスにまつわるエピソードをコミカルなタッチで扱っています。
しかし、それよりなによりこの映画の見所はやはり若き日の松坂慶子のキュートな魅力。ヌードこそありませんが、可愛いミニスカ姿やSM女王姿(イメージシーン)を堪能できます(笑)峰岸徹のワイルドなかっこよさや高橋昌也のとぼけたセックスドクター振りも嫌味がなくていいですし、時代を感じる女性のファッションやメイクなんかも楽めます。
関連タグ: 大映 松坂慶子 峰岸徹

テーマ:恋愛映画・ロマンティックコメディ - ジャンル:映画

若親分乗り込む
市川雷蔵主演の任侠物「若親分」シリーズ第4作(1966年・大映・井上昭監督)。

物語。南条組二代目の武(市川雷蔵)は亡父の友人・磯田組の親分(荒木忍)を尋ねるが、親分は憲兵の拷問で殺されてしまう。更に親分の娘・柳子(藤村志保)から、柳子の弟が危険思想の持ち主として拷問され殺されていたことを聞かされる。真相を探るため磯田組に留まった武を憲兵隊が呼び出し、町を去るよう脅迫。一方、新興やくざの郷田組(北城寿太郎)は刺客として三次郎(本郷功次郎)を差し向ける…。

若親分を慕うやくざの娘に藤村志保!
若親分を狙う青年やくざに本郷功次郎!
その恋人には松尾嘉代!
…と言うキャスティングだけ見ると面白そうだった…いや確かに途中までは面白かったのですが、終盤メタメタで目も当てられませんでした。

まず、昔気質の老親分が殺され、若親分こと南条武がその裏を探ってみると新興やくざと結託して利権を漁る陸軍憲兵隊の不正が発覚、というのは、お決まりなストーリー。
一方、新興やくざの幹部の1人である三次郎・本郷功次郎は若いながらも一途で昔気質のやくざなので(ちなみにこのシリーズ、「昔気質」なら即「いい人」ってことになってます)組のあこぎなやり方には内心不満を持っています。しかも組の幹部が武を憲兵隊の力を借りて始末しようとしているのに反発。だったら自分がと、恋人のおみね・松尾嘉代が止めるのも振り切り、1人で若親分に対決を挑みます。しかし若親分にあっさり殴り倒され、更に組の幹部たちからリンチを受けていたところを若親分に助けられます。
三次郎は若親分の忠告で足を洗っておみねと故郷へ帰ることにしますが、裏切った三次郎に組から刺客が放たれます。ここで面白いのは、小雨の降る中を番傘を差した本郷と松尾嘉代が歩いていると、そこへ刺客が体当たりして来て…というシーンを上からの俯瞰図で撮っていること。同じ大映の「続・悪名」(1961年)でモートルの貞こと田宮二郎が刺殺された有名なシーンそっくりです。ただしこの映画での本郷は死ぬことなく、懐のドスで返り討ちします。
さて話は終盤にさしかかり、若親分は新興やくざどもをバッタバッタと斬り倒します。しかしまだ黒幕の憲兵隊が残っているのでこの元凶を倒さないと終わらないのですが…肝心のここからの展開がいただけません。
若親分はたまたま再会した旧友の竹村少佐(戸田皓久)に借りた軍服着こんで、海軍少佐と称して憲兵隊に乗り込み、東京から来ていた特別査察官の吉村少将(三島雅夫)に憲兵隊の不正を訴えます。しかし憲兵隊によってニセ海軍士官であることを暴露されてしまいます。若親分窮地に…と思いきや、この吉村少将が何故か妙に物分りが良くて、ニセ海軍のやくざ者の言い分を(竹村少佐の助言もあったとは言え)聞き入れて、憲兵隊の首魁どもはあっさり御用に。かくして、めでたしめでたし…というご都合主義の典型みたいな結末。
このシリーズでは雷蔵さんが海軍上がりの清く正しい渡世人、おまけに終盤では颯爽と海軍の軍服姿も見られるという、一粒で二度美味しいみたいな展開がウリ。しかし今回のように、本来はアウトローであるべきやくざがお上の権威を借りて事を解決するのはやり過ぎで、とたんに話がつまらなくなります。
若親分がもろ肌脱いで背中の彫り物を見せるシーン。やくざ映画ならではの見せ場ですが、雷蔵さんは撫で肩のせいか裸になった上半身が妙にしょぼんとして見えるので、イマイチ様にならないんですよねえ。。
関連タグ: 大映 藤村志保 市川雷蔵 本郷功次郎

テーマ:邦画 - ジャンル:映画

刑務所破り
タイトルは「むしょやぶり」と読みます(1969年・大映・池広一夫監督)

物語。昭和の初め、九州戸畑。古田誠(松方弘樹)は父親を殺され、更にその仇を討とうとして納屋組(山本麟一)に追い詰められた急場を常太郎(田村高廣)に救われ大阪の大原組に草鞋を脱ぐ。
大原組は対立する天王寺組に縄張りを荒らされ、いきり立つ常太郎を老親分(北龍二)が抑えていた。やくざを嫌う親分の娘・香織(藤村志保)は父親の身を案じる。そんなさ中に常太郎が召集令状を受け、誠に大原組の後事を託す。
このまま軍隊入りして兵隊やくざになるのかと思われた常太郎こと田村高廣だったが(違)出征祝いの晩、天王寺組が殴りこみを計画していることを知った誠が単身天王寺組に乗り込む。誠を追って駆けつけた常太郎は天王寺組の組長と相打ちで果て、誠は刑務所行きになる。
九州から乗り込んできた納屋が天王寺組を取り仕切り大原組の親分の命を狙う一方、刑務所の誠にも殺し屋(五味龍太郎)をさし向ける…

松方弘樹の仁侠映画初主演作。
東映の松方が何で大映に出ているのかと言うと、当時市川雷蔵の病気療養の穴埋めで大映に移籍、これが第2作目でした。結局雷蔵さんは帰らぬ人となってしまい「眠狂四郎」「若親分」「忍びの者」などのシリーズ物を引き継ぎますが、松方に雷蔵さんの代わりが務まるはずもなかったのか大映はあえなく倒産、松方は2年足らずで東映に出戻りしています。
それはともかくとして、任侠物好きじゃないし松方も苦手なので、専ら藤村志保さんだけを目当てに我慢して見たのですが、この映画での松方は後年のアクの強さはまだなく、比較的物静かで淡々とした芝居していました。ただその分線が細く主役としちゃキャラが立っていない感じ。それまで他社(東映)で5番手か6番手だったものを連れてきていきなり看板に据えても貫禄不足は否めません。松方同様東映の悪役だった山本麟一が出ているのも大映カラーを薄めていますね。
またこの映画じゃやたらと血がドバドバ飛びます。やくざ映画だから当然といえば当然ですが雷蔵さんの「若親分」の時はそうでもなかった気がするので、この辺は主演者の個性の違いによるものでしょうか。

藤村志保さんは昔気質の老親分の娘の役ということで、「若親分」シリーズの時にも似たような役がありました。任侠物のヒロインというといつも同じ役になってしまいますね。ただこの映画ではか弱きヒロインでなくて、ややしっかりもののお姉さん的になっているのは年下の松方が相手だったからか。
田村高廣は松方の兄貴分のやくざの役。ドスを効かせた野太い声で凄んでいるのには笑ってしまいました。繊細なインテリからやくざまで結構役の幅が広い役者さんでした。
関連タグ: 大映 藤村志保 松方弘樹 田村高廣

テーマ:日本映画 - ジャンル:映画

炎上
三島由紀夫の小説『金閣寺』の映画化(1958年・大映・市川崑監督)

物語。昭和19年、溝口伍市(市川雷蔵)は亡父(浜村純)の遺言により驟閣寺の徒弟となる。生前の父から「この世に驟閣ほど美しいものはない」と聞かされ続けて育った溝口にとって、その驟閣で生活できることは何よりの喜びだった。
しかし戦後、驟閣が観光化していく様に溝口は失望する。更に内翻足の障害を持つ友人の戸刈(仲代達矢)から、尊敬していた住職(中村鴈治郎)が戒律を犯して女色にれていることを知らされ不信と絶望に陥る。驟閣が汚れることから守るため、溝口は放火を決意する…

これは以前見たと思い込んでましたが初見でした。リメイクである「金閣寺」(1976年・ATG・高林陽一監督)の方だったら昔テレビで見たのですが。

それはともかく、原作付きの映像作品の場合、どうしても原作と比較してしまうことを免れません。読んでなきゃいいようなものの、これほど有名な小説ともなればそうも行きません。尤も私が読んだのは大昔なので細部は忘れてしまったのですが^^;;映画を見て思ったのは「こんな話だったかなあ…」と言うことで、かなり印象が違いますね。個々に見ると、扱われている出来事自体は殆ど原作通りなのですが。

まず原作と大きく違う点は、小説が主人公の一人称で綴られているのに対して、映画では客観的に描かれていること。これは小説と映画との文法の違いからして当たり前と言えばそうなのですが、「内側から見た『私』」と「外側から見られた『私』」とは、全く非なるものです。
この映画はのっけから原作にはない、事件後に逮捕された主人公が警察で尋問されるシーンから始まっています。つまり第三者から見た主人公は単なる「国宝放火犯」に過ぎません。しかし「オマエはコレコレこうだろう」と他人から決め付けられることこそ主人公(或いは三島)が拒否したいものではなかったか。その間にある「情念」のようなものが欠落してしまうからです。従って映画は一種の原作批判の様相を呈して展開していきます。
その最もたるのは、映画における「鶴川の死」の扱い方の違いと「有為子の不在」です。

まず、原作における鶴川は、主人公の「純粋なもの」を象徴する存在として、「悪魔的なもの」である柏木(映画では戸刈)と対比をなす重要な役割を意味しています。しかし映画では単なる主人公の朋輩という域を出ないので、殆ど意味がありません。
また、主人公の初恋の人である有為子は、原作の中でその後も主人公の人生に長い影を落としていく存在で、「美」と「性的なもの」との結合を象徴する役割を意味しています。しかし映画には有為子は出てこないし、そもそも「性」に関するテーマはこの映画から全く除外されています。かくして原作に施されていた様々な装飾を取り払ってしまった結果主人公には「純粋なもの」が一元的に還元され、金閣(映画では驟閣)放火の動機は「純粋なものが汚れること」そのものの拒否に集約されているように思います。そういう意味で市川監督は原作者が持っているその本質(或いはこの時点では三島の隠したかった本質)を、原作者以上にロコツに描いてしまったのかもしれません。

主演の雷蔵さんは、これが現代劇初出演でした。当時の若手人気スター、言わばアイドルが坊主頭になって、ドモリの、それも放火犯を演じたのですから、大映内部からは反対の声も上がったようですが、雷蔵さんはそれを押し切って自ら出演に固執したとのこと。常に上目遣いで口を半開きにして、世間と自己の内面とのギャップに悩む主人公を見事に演じています。演技者としての己れを徹底するこの姿勢は、所詮演技を片手間にやってるに過ぎない今時のタレント風情にはマネできないことでしょう。
中村鴈治郎は二面性のある人間くさい住職を好演しています。あと浜村純って1950年代から90年代までのどの作品を見ても、いつも同じなのが不思議ですね。
関連タグ: 大映 市川雷蔵 市川崑 三島由紀夫

テーマ:邦画 - ジャンル:映画

生きものの記録
原水爆の恐怖を描いた、黒澤流の反核映画(1955年・東宝・黒澤明監督)

物語。中島喜一(三船敏郎)は職工から叩き上げて町工場の主となり、正式の家族の他に妾2人と子供3人も養っている、エネルギッシュな老人。しかし原水爆への恐怖から被害妄想に陥り、もはや地球上で安全な場所は南米しか思い込み、工場も財産も捨てて一家のブラジル移住を計画する。そのため息子(千秋実)たちから準禁治産者にされてしまうが…

この映画も10代の頃、夜中のテレビ放送で初めて見たのですが…以来10回以上繰り返して見ていますが、何度見てもわけがわかりません。晩年の黒澤も独りよがりで退屈な映画ばかり撮っていましたが、それらと違ってこれは面白いし、非常に惹き付けられます。でも反核のことを訴えるのになんでこういう描き方しなければならないのかが理解できないので、ずっと小骨が喉に突き刺さったままのような釈然としない思いを抱いていました。
で今般、あれこれ考えているうちにふと思い出したのは、黒澤監督が自作「生きる」(1952年)について語った言葉。

「僕は時々ふっと自分が死ぬ時のことを考える。すると、これではとても死に切れないと思って、居ても立ってもいられなくなる。もっと生きているうちにしなければならないことが沢山ある。こんな気がして胸が痛くなる。『生きる』という作品は、そういう僕の実感が土台になっている」(東宝事業部刊『黒澤明全作品集』より)

ああ、そうか、とこれを読んだ時、漸く少しわかった気がしました。この中の「自分が死ぬ時」を「原水爆」に置き換えるとこの「生きものの記録」になります。つまり「生きる」の主人公が「癌で余命あと半年」という現実に直面したのと同様に、この映画で三船扮する主人公の老人は「原水爆の恐怖」という問題を、まるで自分が癌宣告でも受けたかのように1人で引き受け、なんとかしようとするのです。この映画の特異な点(と言うか、ちょっとずれている点)はここにあるんですね。

さて「生きる」の主人公がまず家族の愛情にすがろうとして拒絶されたように、この映画の主人公も家族のことを考えますが、自分のことしか考えていない息子たちによって拒絶され準禁治産者にされてしまいます。原水爆がテーマなのに話が家族の問題として展開するのもこの映画の特異な点ですが、物語の根底が「生きる」と同じであると考えれば不思議はありません。それどころか、この時点で孤絶してしまった主人公はまさに癌宣告を受けた「生きる」と同様。
ところがそこからは話が全く逆の方向へと向かっていきます。

「死の恐怖」から逃れることばかり考えていた「生きる」の主人公は、やがて余命を公園建設に注ぎ、死後、町の人々から感謝されるのですが、この映画の場合、主人公は「原水爆の恐怖」から逃れようとして挙句に周りの人々まで巻き込んで破滅に追い込まれて行きます。「自分の死」という「個人」の問題から始まって「個人」の問題に終わっている「生きる」に対して、この映画は「原水爆」という個人でどうにもならない問題を自分1人で抱え込んでしまった結果、悲劇(見ようによっては喜劇)となって終わるのです。
ここから逆説的に導き出される結論は「原水爆の恐怖から逃れることは出来ないし、また個人の力で解決できる問題ではない」(=だから原水爆を無くすことをみんなで考えなければいけない)ということになるのでしょうか。
黒澤は前掲書の中でこの映画については「僕としてはやっぱりストレートに、真っ向からいくやり方をとるのが最もいいと思った」と言っているのですが、あまりにも事柄を「個人」の観点からストレートに捉えすぎたがために結論が非常に迂遠なものになっているのだとしたら皮肉なことだし、或いは黒澤という映画作家の特質を浮き彫りにしているのかもしれません。

主人公の70歳の老人を演じた三船敏郎は当時まだ35歳。特殊メイクなどない時代なのに、その表情、或いは所作、物腰は全く老人のそれ。特に、映画の後半ではあばら骨が見えるほど痩せ細り、弱弱しい老人になり切っています。前作「七人の侍」(1954年)の時は筋肉隆々だったのに、いったいどんな役作りをしたんだと驚く変貌です。三船をよく大根役者だなんて言いますが(確かに所謂「演技派」ではありませんが)とんでもない話で、この映画は三船の演技を見るだけでも価値があります。
関連タグ: 黒澤明 三船敏郎 志村喬 東宝

テーマ:考えさせられた映画 - ジャンル:映画

若親分千両肌
市川雷蔵主演の「若親分」シリーズ第8作(1967年・大映・池広一夫監督)

物語。青柳組の一人息子・栄吉(山口崇)と間違えられて襲われて負傷した南条武(市川雷蔵)は、偶々通りかかった奇術師の昇天齋辰丸(長門勇)一座に助けられ、同一座で働く。
青柳組では親分の竜作(東野英治郎)が病床に臥せっている間、代貸の黒崎(北城寿太郎)が取り仕切っていたが、黒崎は新興やくざの赤松(織本順吉)と通じていた。養女の君江(藤村志保)は義兄・栄吉の帰りを待っていたが、やくざの父を嫌う栄吉は女給の葉子(久保菜穂子)に入れあげ家を飛び出したままだった。
或る日、海軍時代の同期生・水上少佐(藤巻潤)と再会した武は、青柳組が建設中の海軍秘密兵器工場を訪ねて、酸素魚雷の発射実験を見学する。しかしその夜、工場が爆破され秘密兵器の設計図が盗まれ、武と水上、竜作に疑いがかけられる。江藤技術少尉(木村玄)の挙動を怪しんだ武はその後をつけて大杉天道(三島雅夫)の道場を訪れる…

シリーズ最終作。シリーズ当初は明治末期が舞台でしたが、本作では昭和初期まで時代が来ていました。雷蔵さんが元気ならまだ続く予定だったのかどうかわかりませんが、上海事変やロンドン軍縮会議が語られるなど戦争の足音が近づきつつある時代になると、「海軍士官上がりのやくざ」という設定はいささか具合が悪いです(五・一五事件の海軍将校の中にも若親分の同期生がいた、なんてことになったら洒落になりませんし)。
しかし時代を明治から昭和まで思いっきり進ませてしまった原因は、おそらくそろそろ大映の懐具合が悪くなって、セットで明治の町並みを再現するのが難しくなってきたからでしょう。昭和初期ならこの映画の製作された昭和40年代初め頃にはまだロケでもごまかしがききます。

本作には藤村志保さんや久保菜穂子、伊達三郎などお馴染みに加えて長門勇や山口崇、財津一郎、織本順吉などそれまでの大映作品で見かけなかった顔ぶれが大挙出演しています。若親分が奇術師一座で働くという導入部は面白そうだったのですが、実際のストーリーにはあんまり関係なく残念。折角財津一郎なんか出ていてもコメディリリーフほどの役割がないのも勿体無い感じ。ただ、長門勇が大陸仕込みの空手の使い手と言う設定で、腰の据わったアクションを見せてくれるのはうれしいです(ちなみに熊髭の水兵役は国際プロレスのレフェリーだった阿部脩)。
東野英治郎と藤村志保さんは「白い巨塔」「座頭市鉄火旅」に続き父娘役。「昔気質の老親分=善、権力と結託した新興やくざ=悪」という構図の中で老親分が殺され、若親分がそのあだを討つパターンは前にもありましたし、「眠狂四郎」などと違ってこのシリーズでの志保さんはいつもか弱きヒロインばっかり。毎度同じ役柄なので新味がありません。
若親分が去って行くラストシーンでは藤巻潤の歌う主題歌が流れます。これが高倉健の東映任侠映画だったら歌も主演の健さんが歌うところなんですが…雷蔵さん、歌は苦手だったのでしょうか。それにしても「♪たーけしーたーけしーなーんじょーたーけしー」ってコーラスはちょっとまぬけです^^;;

関連タグ: 市川雷蔵 藤村志保 大映

テーマ:日本映画 - ジャンル:映画

ニッポン無責任時代
無責任男、ここに誕生!(1962年・東宝・古沢憲吾監督)

物語。競馬で会社をしくじり失業中の平均(植木等)は太平洋酒の社長・氏家(ハナ肇)に取り入りまんまと入社。しかし毎日遅刻と無責任振りを発揮する。
その頃、乗っ取り屋の黒田(田崎潤)と黒幕の山海物産社長・大島(清水元)が株を買占め会社の乗っ取りを図っていた。平は大株主の富山(松村達雄)を接待して防衛策を講じるが失敗。会社は乗っ取られるが平は今度は新社長の黒田に取り入り部長に出世。
氏家の息子・孝作(峰健二、後の峰岸徹)と大島の娘・洋子(藤山陽子)は恋仲にあったが双方の親が許さない。平がその仲を取り持ち、更に氏家は社長に復帰するが、平は大島に嫌われクビになってしまう。しかし1年後、孝作と洋子の結婚披露宴が催された時、そこに平があっと驚く姿で現れる…

底抜けに明るく陽気な植木等のパワーが炸裂する、主演第1作目。ここから歴史に残る無責任男のキャラクターも誕生しました。
植木扮する主人公は押しが強く、口からでまかせで調子のいいことを言いながら出世して行ってしまう男。その言動が面白い反面、考えてみればかなり嫌な野郎でもあります。
ただ結果的に出世するとしても本人は割りと無頓着でその日その時を面白おかしく過ごせればいいという、文字通りの無責任。殆どいきあたりばったりで失敗も多いのですが、それでも何故だか最後には帳尻が合ってしまい、自分ばかりでなく周りのみんなもハッピーになって終わります。というわけで、見ているこっちも幸せな気分になれる痛快喜劇映画です。
「スーダラ節」「無責任一代男」など青島幸男作詞・萩原哲晶作曲のお馴染みソングもふんだんに盛り込まれていてミュージカル映画の要素もあります。何しろ道を歩きながら突如歌い踊り始めるんだから凄い。日本人のミュージカルって見てる方にも照れが入りますが、全く違和感ないのは植木等ぐらいでしょう。
実際は脚本に穴が多くて話の辻褄が合わないところもなくはないのですが、この映画に限ってそんなことはどーでもいい感じ。筋立てやギャグも今から見れば古めかしいところはありますが、万民の心を明るくする植木等の魅力は不滅でしょう。
この作品はクレージー映画でもあるので、他のメンバーも主要な役どころで出演。谷啓はハナのワンマン社長と植木の無責任社員に挟まれた中間管理職で、後の「釣りバカ」佐々木課長の原型か。石橋エータローのオカマ芸も見られます。
社長秘書役重山規子は途中で突然、美脚も艶かしく踊り子姿で出て来てびっくりしましたが、それもそのはず日劇ダンシングチーム出身なのだとか。
ハナの息子役峰岸徹は、若いし名前が違うし、それにてっきりずっと大映の人だと思っていたので最初はわかりませんでしたが、よく言われるようになるほど赤木圭一郎にちょっと似てますね。
関連タグ: 東宝 植木等 ハナ肇 クレージー・キャッツ

テーマ:日本映画 - ジャンル:映画